「地獄心音図」ーじごくこころねずー
●● だから新しい地獄絵を描きたい ●●
中 島 潔
■襖絵を描き終えて
5年間、全てを忘れて清水寺成就院の襖絵に打ち込みました。
直後に大病が見つかり手術、
そして生還、
力強さを描きたいと思い、
テーマに、日本の祭りや伝承を考えました。
しかし見回すと、暗いニュースがあふれていました。
価値観が変わり、大事なものが失われて行く。
えがくべき他の何かがある気がしました。
■お天道様が見ている
そんな時、ある人の言葉が胸に迫りました。
「お天道様が見ている・・が死語になりそうです」
その言葉が私に思い出させました。
子供の頃、母に見せられた地獄絵のことを。
誰も見ていなくても、正しいことをしなさい、という母の教えを。
伝えていきたい日本の美しい景色、
そして伝えていきたい日本の美しいこころ、
■ 日本のこころを伝えるための地獄絵
この世紀に生まれた画家として、子供に、そして大人に、
新しい地獄絵を見てもらいたい
いま自分が描かなければ、と思いました。
「うそを言ったら閻魔様に舌を抜かれるよ、
悪い事をしたら地獄に墜ちるよ」
そんな子供の頃の素朴な視点で描くつもりでしたが、
古くから伝わる地獄絵も見てみたいと思いました。
■まずは珍皇寺へ
いろいろと見て回ろう、
まずは手始めに、と、京都の珍皇寺をお訪ねしました。
そこで見た地獄絵に心打たれました。
奥深さを秘め、美しくもありました。
住職様のお話を聞き、惹かれる理由が分りました。
「戒め」だけでなく、絵には「救い」が満ちていました。
回りつづける生命が描かれ、中心には「心」の文字。
私がこだわり続けて来た、「いのち」と「流れ」がそこにあったのです。
■手始めのはずが・・
まず手始めのつもりだったのに、もう充分でした。
最初に珍皇寺を訪ねたことは、何かの巡り合わせかもしれません。
伝え継がれる歴史の中に連なりたい、と感じました。
完成後の奉納を願い出ると、快くお請けいただけました。
■身近な存在
京都では、今でも地獄絵は身近なものです。
子供が物心つくと家族で見に来るとのこと。
祭りや伝承と同じ、地域に根ざした日本の文化です。
私の描きたい大切なものです。
違うテーマを選んだはずが、同じ根にたどり着きました。
■ 後世に残す代表作を目指して
それでも一枚目はおそるおそる、筆をとりました。
二枚目、三枚目と描き進むにつれて線は伸びやかになり、
生き生きと動き出しました。
■ 描き進むにつれて
心のあり方を問いたくて描き始めたつもりでした。
しかし、描き進むにつれて見えて来たものがありました。
そこには「救い」がありました。
「いつも自分が描いている故郷の絵が天国」
だから今回は地獄しか描かない
そう決めていたのですが・・・
最後の五枚目に、菩薩地蔵に抱かれて天に昇る亡者を描きました。
廻り繋がるいのちのものがたり
菩薩に目を入れたとき、心が放たれました。
■ そしてついに
4月29日に奉納の日を迎えました。
障子から柔らかい光の射すお堂に据えられた地獄心音図は、アトリエで見る姿とは一変していました。
アトリエでは、独特の強い存在感で見る者を圧倒していた五枚の心根図でした。
それが、不思議な事に、
はじめからそこに有ったような
帰る場所へ戻ったような
自然な空気を醸し出していました。
迎えてくれる、昔の地獄絵があったからかもしれません。
新緑を通る風の中、奉納記念の特別公開が行われました。
何かに背中を押されるように描いてしまった心音図です。
何かしら、小さな想いのかけらを拾って帰っていただけたら・・と祈ります。
「地獄心音図」は、数年の巡回展ののち、正式に六道珍皇寺に奉納されます。