2020年
3月
16日
月
77回目の春が訪れようとしています。
世の中には、いろいろな穴があいています。
その穴を少しでも埋めたくて、童画を描いてきました。
今、大変な思いをしていらっしゃる方達がたくさんおられることと思います。
一陣の春風が届きますように。
他の春の絵はこちらから→春風ギャラリー
2019年
11月
08日
金
柿の葉が、まばらになりながら美しい影を落とす季節。
人の温もりが恋しくなり、
アトリエの周りのものたちが、次々と彩りを変えます。
私のもっとも好きな色が溢れる秋です。
2019年
4月
23日
火
雀は私にとって一番身近な鳥です。
いつも景色の中に溶け込んでいる、それでいて人の近くに寄り添っている、
素朴な姿に心惹かれてたくさんの作品に描いてきました。
日本中で雀が減っていると聞きました。
いつまでも日本のふるさとのありふれた鳥でいて欲しいと思います。
2019年
2月
01日
金
熱海に移ってから、雪を見ることがほとんど無くなりました。
しかし、その季節になると雪景色への憧れが私の中で目を覚まします。
一夜にして景色を塗り替える圧倒的な自然の力。
わずかに残った色たちを鮮烈に浮かび上がらせます。
数年前、富山に雪景色をスケッチしに行きました。
音も吸い込むような雪の中、懐かしい気持ちになりました。
なぜか温もりを感じた旅でした。
2018年
9月
16日
日
今のようにおやつが豊富ではなかった子供の頃、柿は待ち遠しい季節のごちそうでした。
しょっちゅう木に登っていたわけではありません。
でも、低いところに熟れた実が少なくなると、あのてっぺんに登って好きなだけ食べたいなあ、と思い浮かべたものでした。
2018年
3月
18日
日
今日の一枚 ー こいさん ー
ふと思いました。
大阪の女性は計算や損得で心が動いたり行動したりしないんじゃないかと。
だから、不幸や、悲しみもしょって行ける覚悟が要る。
そんな心に共感できるから大阪の人たちは曽根崎心中のような事件も応援してしまう。
大阪人が義理人情に厚いとはそういうことではないでしょうか。
2017年
9月
10日
日
富山は友情や愛が濃く、
五箇山はその象徴的な場所です。
時の止まった山里に立ち、
この風景が珍しくなかった頃、
現代の目で見ると不便な時代と考えてしまいますが、
世界遺産とは建物や風景のことだけでなく、
それらが現代の私達に語りかける音のない言葉を描きとめられたら
そんな想いで「永久への言葉」を描きました。
早い春、なごり雪の上に新雪が化粧してくれたあの日の、
その白を、どう表そうかと楽しみながら仕上げた作品です。
2017年
7月
04日
火
持っているのは栗です。
背景も栗の木です。
丹波には昔取材に行き、米をはじめ、
代表として栗をモチーフにしました。
少女は大人の女性になる前の、育ち盛りの年頃です。
のびのびと実り育む土地柄と重ね合わせて描きました。
2017年
2月
10日
金
万葉の時代の女性を想像したとき、まず 自由 という言葉が浮かんできました。
自然や宇宙とのつながりを残していた時代、
特に女性は神秘のエネルギーを宿し、輝いていたように思えます。
その力強さ、美しさをこの一枚に描きました。
女性と女神の中間のような不思議な存在です。
2016年
9月
25日
日
今日は、この作品「花言葉」を見た、小学4年生の子どもたちの言葉を紹介します。
「作品に描かれているのはどんな場面だろう?」
そんな問いに、10歳のかわいらしい想像力で答えてくれました。
唐津市長松小学校の皆さん、菊池先生、ありがとう。
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☆ひまわりが大きくなって、3人の子どもたちが小さくなって、ひまわりを登って行ってぼうけんしている場面。ひまわりをひみつきちにして遊んでいる様子。
☆私は、こびとが、ひまわりの花といっしょにお話をしていると思います。なぜそう思うかというと、みんなひまわりのほうを向いているからです。他にかくれんぼをしているようにも見えました。なぜかというと1人だけ、ちがうところにいて、その人がおにで、2人がなかよくどこかにかくれるそうだんをしているように思ったからです。
☆かくれんぼをしているようです。1人ずつ葉に乗ったり、ひまわりの上にかくれていたりする様子で、風が来て、ひまわりの葉に乗ってつかんだり、ひまわりをつかんだりしている様子だと思いました。
☆こびとたちが、ひまわりの所でかくれんぼをしていると思いました。目がキラキラかがやいているのは、おにがいつまでたっても来ないので、「まだかな、早くしてよ。」と言っているみたいです。
☆小人たちが、ひまわりに乗って町を見ている。大きくなりたいと思っている。
☆風ですずしそうで気持ちよさそうな場面。3にんきょうだいが旅をしているところ。
☆夏の日、ひまだった3人の小人がひまわりの上でおしゃべりをしていたら、風がふいてきました。小人のふくは、うすかったのでヒラヒラゆれていました。
☆みんなが、ひとつのところに注目していて何もしゃべっていない。毎日同じ場所で同じものを見ているから、人が来ても気づかないと思う。
☆風がふいてきて、ヒマワリの花がちったり、男の子の服がふくらんだりしている場面。
☆小人が何かをさがしていると思いました。人にみつからないように、ひまわりの葉っぱの中から、何かをさがしていると思いました。
☆あるところに小人が3人いました。その小人は小さくていつもひまわりに乗って遊んでいま
す。
☆子どもたちが何かを見て、あれなんだろうと思って、おそるおそる言っている。
☆ようすも見ながら、人がこないか見ている。
☆3人の小人がいっしょのほうこうをむいているので、苦手なネコからかくれているのかなと思う。そして後ろのほうから風がきているのがすずしそうです。ながそでの子もいるけど、はんそでの子もいるし、夏かな。
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2016年
7月
14日
木
雨降りが好きなわけではないけれど
洗われて美しいと思う季節です
雲の切れ間に射す光のような人を思い浮かべて描きました
2016年
1月
26日
火
小倉と聞いてまず思い浮かぶのが小倉祇園太鼓です。
祭りの太鼓は各地にありますが、小倉祇園太鼓には格別の魅力があります。
小倉の人々の誇りや心意気、家族愛までが形となって現れているようです。
対で打ち合う中にも、絆や互いへの敬意を感じます。
私が大切にしている日本的な情緒です。
背景に描いたのは凌霄花。この花の赤は命の色です。
燃えるような夏の花に小倉祇園太鼓のイメージを重ねました。
純粋な童たちの魂が、玄界灘の情熱の響きを力強く未来へと繋いでいって欲しい、そんな想いを込めた作品です。
2015年
8月
11日
火
現代の画家として、新しい地獄絵に挑みたい、そしてその「心」を伝えたい、そう思い「地獄心音図」5点を描きました。
伝統の地獄絵には地獄と共に極楽が描かれています。
時に「なぜ 極楽を描かないのか。未完成なのではないか。」
と問われます。
地獄心音図5点の完成後、「心音 夢の音色」を描き、続いてこの「心音 故郷の空」。
これらの作品は、地獄心音図に続く一連のものです。
なぜなら、
私の思う天国とは今生きているこの世界そのものだからです。
その中でも子供たちが笑い、駆け回る故郷の景色、それこそが天国そのものだと思います。
地獄心音図を描き終えて、ひとつ前に進んだ気がします。
その心で捉えた晴れやかに広がる故郷 佐賀の景色です。
2014年
12月
12日
金
木枯らしの中、
厳しい季節、一生懸命生きる健気さ。
姉は妹をいたわり、妹は姉を気遣う、
妹の小さい握りこぶしで繋がるふたりの間には温かいものが流れて
風に立ち向かう二人の力強さに生命の輝きを表したいと筆を執りま
私自身も大好きな作品のひとつです。
空には明日の希望へとつながる夕焼け雲が流れています。
2014年
10月
23日
木
寒さへと向かう ほんのひととき
里はゆたかな実りにあふれます
柿はイチジクの次に好きな秋の果物
鮮やかな赤にも惹かれ
この季節になると描きたくなる景色です
2014年
5月
24日
土
梅雨の予感の雨が続き 五月の日差しが名残惜しい
気がつくと
真新しい黄緑の花がいっぱいに広がっている
時を待つ紫陽花
小さな楽しみを運んで来る
水玉を転がしながら
深く淡く澄んだ色に染まり始める
空を見上げ雨宿りする傍らに揺れていた
濡れまいと駆ける道沿いに滲んでいた
遠い日の故郷の花
ずっと描き続けて
未だに描き切れていない
2014年
3月
15日
土
日本の春は短すぎず でも気付くと通り過ぎている
待ちわびた季節は心躍る
けれど立ち止まってはくれない
だからまた待ちわびる
競い咲くあまたの花たちが
一瞬の生命を輝かせ移ろって行く
立ち止まらないから美しい
集いつつ 違う春を感じている童たち
つぎに巡り来る春にはそれぞれ何をしているだろう
2013年
12月
21日
土
寒い朝、色を無くした風景、
見渡す限りを塗りつくした雪に心が躍ります。
しかし、ふるさとの雪は
「雪化粧」の言葉が似合う淡い雪景色。
ひだまりから静かに姿を消して行きます。
雪はどんなふうに溶けて行っただろう・・
なぜか思い出せません。
ただ、ひだまりのぬくもりだけが心に浮かびました。
2013年
9月
29日
日
10代で唐津を後にしました。
心の中では、ふるさとの四季は変わらず巡りゆきます。
秋あかねが野原に誘う秋、
優しい中にふと物悲しさを覚える大好きな季節です。
2013年
7月
17日
水
こたつに駆け込み、かじかんだ手を暖めて 皮をむいた
小さい袋が付いていると おまけをもらったように嬉しかった
学校帰り、畑からひとつだけ、と失敬して こっぴどく叱られた
こどものころ みかんは秋から冬にかけてのごちそうだった
おとなになって 気軽な食べ物になった
テーブルのカゴには 当たり前のように山盛りのみかん
ちかごろまた、みかんはごちそうになった
ふるさとから届く 季節外れの果実
こたつどころか、暑い日差しの中、冷やしたみかんをいただく贅沢
初夏のみかんの、はちきれんばかりの瑞々しさに
少女のはじける笑顔を思い浮かべる
2013年
5月
08日
水
金子みすゞとの出会いは衝撃でした。
優しさと悲しみ、光と影、夢と幻、神と宇宙などなどが蜘蛛の糸のようにからみ合っていました。
川底の小石に触れようとすると不思議なめまいを感じるように、みすゞの詩には何かが揺らめいています。
その何かを私が描けるかどうか自信もなく恐れもありました。
最初に「大漁」に挑みました。みすゞの代表作であり私は感じるままに筆を走らせました。しかしその何かは描けませんでした。
こんなはずではないという焦りと絵描きとしての自尊心もあり、次々と挑んでいきました。
私の日常生活は金子みすゞ一筋になりました。
そして開き直りも手伝ってその何かを私の心の中に棲む何かと同化させました。
たとえば「明るい方へ」は童話のおやゆび姫を思いながら空想の世界を作りました。そのうち少しずつみすゞの何かが見えてきました。
みすゞの小さきもの、弱きものへの限りなくあたたかいまなざしが、生命の尊厳、生きるものへの慈しみを教えてくれました。草も虫も、そして人もすべて等しくいとしいものだということを・・・。
そして、すべての生命は、明るい方へ、明るい方へと向かっていくのです。
彼女の詩の世界と私の作品が共鳴し、命や自然のことを考えていただければ幸いです。
2013年
2月
27日
水
「花の夢」は、文藝春秋の目次絵として描いた作品です。
「花の夢 男の子」「花の夢 女の子」の二つの絵が、
ページをまたいで、ひとつに繋がっています。
未知の世界への好奇心と憧れを二人のまなざしに込めました。
2013年
1月
22日
火
いつもの生活とどこかちがう年明け
宮参り、凧揚げ、ごちそう、
心弾むひとときに、特別な印象を残すもの
怖くて美しい獅子舞は、とても大きく見えました
その力強さは憧れでもありました
思い出の中で、友だちと一緒に立ち向かいます
2012年
10月
29日
月
清水寺奉納の襖絵に、「いのち」を描きました。
その直後、がんが見つかり手術し、再び「生きること」に向き合いました。
一日、一分、一秒、今を生きている事に対しての感謝を教わったのです。
新しい絵を描きたい、そう思いました。
根底に流れるテーマはこれまでと同じ「いのち」ですが、もっと前向きな生命力のようなもの、その中に強さを秘めた力強い絵です。
日本各地に伝わる伝承、文化などには強い力といのちが宿っています。
その具体的なもののひとつが「祭り」てす。
長い時を超えて受け継がれている祭りには、とても深いものが込められていると感じます。
第一作として、「唐津くんち」を描きました。
あらたな挑戦と、変わらぬふるさとへの想いがひとつになって、観る人に新鮮な何かを感じていただければ幸いです。
2012年
9月
03日
月
唐津の代表的な祭りである「唐津くんち」は、
私にとっても故郷のイメージの代表です。
祭りに胸躍る想いを、唐津の海と共に描きました。
玄界灘の力強さに負けないような唐津の人々の心意気、
そして人情が笛の音にこもっています。
2012年
7月
02日
月
ひまわりは最近まで描けなかった。
ひまわりのように輝いて明るい人たちに対してどうも近寄りがたかった。
でもやっと分かった。
ひまわりみたいに輝く人、
どんなにお金がある人、
どんなに恵まれている人、
その人の中にもやっぱり大変なことがあるんだと。
それが人間だから。
2012年
5月
01日
火
夢、希望、そしてあふれる生命、それが故郷
刻々と移ろう自然の営みのように
笑って泣いて明日へと進む
故郷の空に架かる虹は、深く慈しみに満ちた宇宙からの優しい言葉
唐津市「虹と海のホスピタル」
一階ロビーは高い天井の明るい空間
そこに「虹」は飾られています
訪れる方達を優しく迎えるお手伝いができたら、と心込めて描きました
2012年
4月
01日
日
春一番はもっと早い季節の言葉。
今年の春は梅と桜が入り乱れて咲き、
もう4月という日に、春一番のような嵐が吹いた。
長かった冬にせかされて、
今年は忙しい春になったようだ。
アトリエの周りの桜も満開となり心弾む。
あっと言う間に夏になってしまいそうな短い春を
一日一日と慈しむ。
2012年
2月
14日
火
巡り来る春
繰り返していても 毎年変わって行きます。
景色を見る私の気持ちでも姿を変えて行きます。
今、私のアトリエの近くは、満開の菜の花が早い春を告げています。
その優しい黄色は、童の弾む心のようです。
2011年
12月
25日
日
私の心を一番揺さぶる大切なもの
美しい四季とそこにある笑顔
三月のあの日
失われた故郷の景色に立ち尽くす人々
灰色の焦りが育って行く
何か
何か出来ないか
無力な自分に苛立った
けれど描くことしか出来ない
描きたい
心の中に残る故郷を そこに駆け回る子供たちを
蘇る日を信じて、小さな想いを込めて描く
厳しかった被災地にも新しい風が吹く事を祈って
2011年
11月
29日
火
降り積もる雪には、その中で寄り添うぬくもりがあります。
暖かくなって雪は少なくなってきたかもしれないけれど、
木枯らしを頬に感じるとき、
私の心にあるふるさとには静かに優しい初雪が舞い降ります。
2011年
10月
11日
火
平成22年、清水寺成就院に46枚の襖絵を奉納しました。
訪れる人を最初に迎える第一室、
そこに「かぐや姫」を描きました。
日本で最も古くから語り継がれるお話。
永遠に古くなることのない、壮大なスケールの物語です。
これは襖絵の流れで描き上げた、シリーズの一枚です。
月へと帰るかぐや姫に、琵琶や琴を奏でながら付き添う天女達。
華やかですが悲しい別れのひとときです。
しかし別れは悲しみだけではありません。
それは新しい出会いへの希望でもあります。
銀色の月を眺めながら、様々な想いを込めました。
2011年
8月
23日
火
若い時に絵描きになる決心をさせてくれたパリ。
60歳になって もう一度勉強しなおすつもりで訪れた。
情熱を取り戻したいと絵筆を握ったが、日本に染まりすぎた心が私を苦しめた。
パリの部屋は狭い。
街に出てもがきながら描き続け、少しずつ私なりのパリが近づいてきた。
都会の孤独感をその姿に映す男性。
いろんな国の人が暮らすパリにはさまざまな人生がある。
そんなパリに一年間住んで、気付いたこと。
多様性がある人たちに見てもらうには、その人たち全部が奥に持っている、共通のものに届く絵を描かないとダメだということ。
そのためには、もう一回、自分の描きたいことをちゃんと描こうと思った。
2011年
7月
15日
金
ふるさとの川で遊ぶ童を描きました。
花は凌霄花(ノウゼンカズラ)です。
この花を最初に見たのは唐津でした。
その燃えるような美しさに目を奪われました。
情熱的で鮮やか、まさに夏のイメージそのものです。
2011年
6月
13日
月
私は自分の気持ちの赴くままに筆を動かしていくタイプだ。
しかし、源氏物語は完全な「静」の世界。
どう描いていいか考えると、胃が痛くなり、息苦しくなった。
追いつめられた私は源氏物語研究家、今は亡き青山フユさんを訪ねた。
朝から晩まで正座して、先生が読んでくださる原文をひたすら拝聴する。
その声は裏庭の竹林を渡る風のように神秘的だった。
そしていつしか私を千年前の世界へと運んでくれた。
幾度となく先生の元へ足を運び朗読を聴き、必死で筆を進めた。
実に苦しい作業だった。
しかしそのうち、源氏物語の奥底に流れる何かが、私に呼びかけてくれるような気配を感じた。
そして、かたくなに拒んでいた姫君たちが、御簾の奥から少しずつ語りかけてくれるような気がした。
2011年
5月
09日
月
いつの頃からだろうか、私は紫陽花が特に好きである。
雨の中、ひっそりと濡れて咲く紫陽花を見かけると
しばし一緒にたたずむ。
ときおり吹く風にたおやかに揺れ、微笑んで消え入るような色合いは、
わずかに残る母の面影に似ている。
思えば幼き頃、突然の雨に軒を借りた雨宿り。
そばにいつも紫陽花が咲いていて、
ゆらりと揺れたその花に、母の名を呼んだ気がする。
2011年
4月
11日
月
これまでの人生で乗り越えてきたさまざまな峠をイメージしました。
峠というのは、登っている時は、ずっと空に続いているような感じがあります。
でも、実際には厳しいもので、峠に着くと、また遥か向うに次の峠が。
生きるというのはそんなものなのでしょう。
峠の向うには夕焼け雲が広がっています。
朝焼けではなく夕焼けです。
朝焼けのあとには夜が来ます。
夕焼けのあとには明日が来ますから。
少女が見つめているのは明日。
そして、少女は私自身です。
ふるさととか母親とかという峠を、やっと越えられるかな・・
そう思いました。